注意
ネタバレあり。個人的な感想、意見を多く含んでいます。
これは最終回放送直後、語彙力を失った私の感想ツイートだ。
良作揃いだった2018秋アニメ、その中でも私はこの作品に強く心を惹きつけられた。
前情報なしのオリジナルアニメ、タイトルからわかるのはゾンビが関係しているのかと言うくらいだった。
ビッグタイトルの原作付き、有名制作会社の新作、前評判から火花が散りまくった今環境で誰が予想できただろうか。
このゾンビランドサガという作品のあふれんばかりの輝きを。
はじめに
俺はアイドルアニメが大好きだ。
アニメ「THE IDOLM@STER」を見てアイドルアニメの見方を覚え、それから沢山のアイドルアニメを見てきた。
夢を願って始まる物語。悩んでしょげたり、仲間と衝突したり、でも最後には立ち上がり、助け合って自らの運命の歯車を動かしてゆくヒロインたちの姿。それを画面越しに見つめ、笑って、泣いて、癒されて。ぶち上がったライブシーンではコールをいれ、サイリウムを折った夜もある。
さらには、創作物だからこそ見れる神の視点。
ステージに立つメンバーとして
プロデューサーやマネージャーとしての支える側として
ライブを支える裏方として
応援するファンとして
それらの視点を網羅し、そのアイドルに関わる全てを見ることができるのはアイドルアニメの醍醐味だ。
また近年ではキャストが実際にライブを行うことも多く、二次元コンテンツとしてのアイドルはもはや我々オタクにとってのもうひとつのリアルであるとも言える。
ゼロ年代から爆発的な速度での成長を見せ、多様化してきたアイドルアニメ、その最新作に化学反応を見せたのが
ゾンビ
そして
佐賀
…本当に、誰がこんな怪作を予想できただろうか。
評価
構成
まずなんといってもこのアニメの話題性を高めた理由は設定と構成にあるだろう。
前情報なし、オタクが注目する第1話のアバンタイトルで軽トラに轢かれて宙を舞うヒロインとメタルが流れるOP。
伝説を纏うヒロイン達をゾンビとして呼び覚ましアイドルユニットを結成し佐賀を救う…やべーよ、いっちょんわからん。
ライブシーンでは曲に合わせてヘドバン、シャウト、モッシュをかます。これがアイドルアニメの1話なのかと。
そして2話、まさかのラップバトルである。
しかもえーでちゃん(源さくら役の本渡楓さん)ラップめっちゃ上手いし。
このワンツーで話題を呼び、視聴者を釘付けにしたところで3話のゲリラライブでようやくアイドルっぽいライブシーンが流される。
正直いきなりゾンビがアイドルやりはじめて歌って踊って成長して〜ではこのアニメはここまでにはならなかっただろう。
しかし、このような懇切丁寧な歩み寄りをしてくれたからこそ、ここまで突飛なアニメに夢中になることができたのだと思う。
その後は佐賀紹介回を挟み、それぞれのキャラクターに焦点をあてつつ物語は進んでいった。
そして多くの謎を残しつつも、この作品は終わり、フランシュシュは新たなスタートを切ったのであった。
この終わらせ方については色々な意見があるが、二期があるにしろないにしろゾンビ映画リスペクトといえよう。
ゾンビ映画を見たことがなくても想像できるのではないか。
ゾンビを撃ちまくり倒しまくり、ハッピーエンドで終わったと思いきやスタッフロールが流れきった後に暗闇で何かが動く描写が入ったり、ゾンビの叫び声が聞こえたりする。
そう、最後をぼかすのはゾンビもののお約束なのだ。
後から触れる予定だが、このアニメはゾンビ×アイドル物であるが、ゾンビ+アイドル物でもある。何が言いたいかというと、二つを完全に分けた視点でもきちんとそれぞれの要素が成立する側面もあるのだ。紐解くにつれアイドルものとしての明るいイメージの裏にゾンビものとしての暗いイメージが見えてくる。
混ぜ合わせたものを一つの面で見せられているようで、そこには二面性が見え隠れする。
これこそが今作の隠れた魅力なのではないかと感じた。
音楽
前項でも触れたメタルやラップからはじまり、アイドル活動をはじめてからはテクノポップにヤンキーロック等幅広いジャンルを見せてきたフランシュシュである。(幸太郎の才能ハンパねぇ)
愛の色が強く出ているアツクナレ(超すこ)では80年代的な音の表現がされていたり、サキ回の特攻DANCE(これもすこ)ではかの氣志團を髣髴させるようなヤンキーロック調であったり、曲がキャラのイメージに対応したものとなっており、それらにキャラの心境に焦点をあてた歌詞が絡まりどれもがこの物語に無くてはならないものとなっている。
アイドルとして見た時のフランシュシュの強さはやはりそれぞれが違う時代で何かをトップクラスで生業にしていたという点である。そんな伝説の女達を集めて普通に流行りなアイドルソングを歌っていては素材が生きないのは誰でもわかることだろう。
それぞれの尖りに対応させた素晴らしい楽曲が彼女達自身の補完にも繋がり、この物語を素晴らしく彩っていたのは間違いない。
作画
ゾンビの女の子がアイドルをする。このテーマを表現する為にアニメーションは最適なフォーマットだったと言えただろう。グロい、怖い印象のゾンビをどこまでも面白く、可愛く。
ゾンビネタを使ったギャグシーンでは勢いよく体が跳ね飛ぶ躍動感を。死体なのに表情はどこまでも生き生きとコミカルに。
アイドルアニメってライブシーン以外でこんなにがんがん動く???っていうシーンがゴロゴロあって最高に「アニメーション」していたなぁと感じた。
(あと個人的に第8話が特に作画乱れてたと思うんですけど、圧倒的な脚本で有無を言わせない感じでペース配分勝ち?とか考えたり。まぁあそこまででかい武雄さん出すと乱れますかね…)
感想
さて、ただのオタクが上から目線で色々語ってきてしまったわけだが、ここからはこのアニメに対して個人的に感じた魅力について語っていこうと思う。
「死んで蘇らされたゾンビの少女たちが無理やりアイドルグループを組まされて佐賀を救えと頭のおかしいプロデューサーに命令される」
これはAbemaTVの公式放送で用いられていた作品紹介である。
そう、フランシュシュのメンバーたちは受身であり、活動動機に主体性なんてものはない。
はじめにアイドルアニメの魅力について語ったが、今作の他アイドルアニメとの大きな違いとして
「フランシュシュのメンバー達はアイドルになりたくてなったわけではない」
と言う点がある。
むしろもっと言えば
「生き返りたくて生き返ったわけではない」
ここに今作の代表すべき陰の部分が潜んでいる。
アイドル(陽)×ゾンビ(陰)
このギャップこそが今作の深層的な魅力なのだろう。
幸太郎の思い描く「ゾンビランドプロジェクト」とは
この作品のキャスト欄の一番上に存在する男、謎のアイドルプロデューサー「巽 幸太郎」。
今作をゾンビものとして見たときの彼の立ち位置はなんだろう。
死んだ少女たちを生き返らせ、地下室で命令を与え、自らの野望のために暗躍する…
そう、狂気のマッドサイエンティストなのである。
作中ではとんでもないテンションと幅広い才能、突飛な行動に凄まじい判断力。
これらが合わさり滅茶苦茶に面白くて有能なプロデューサーとして圧倒的な存在感を見せ付けた彼だが、その裏には想像以上に多くの闇が見え隠れする。
まず終盤で衝撃的であった「生前の源さくらと接点があった」という点。
ここから伝説揃いのフランシュシュメンバーに何故さくらが選ばれていたのかと言う点を考えることができる。
フランシュシュは佐賀を救う為だけでない、幸太郎が源さくらの叶えられなかった夢を実現する為に作ったアイドルグループなのだろう。
情報量が少なすぎるためほとんど妄想レベルの話になるが、約10年前の幸太郎は源さくらと何らかの接点(級友?)があり、そんな彼女に何らかの好意を抱いていた。
不幸まみれであった彼女に灯ったアイドルになりたいという夢。
しかし、彼女は突然この世を去ってしまう。それに対して幸太郎は何らかの野望を携え、彼女をこの世に復活させてしまった…というのが大まかな予想である。
そもそもフランシュシュメンバーに対して発言している大義名分。
「佐賀を救う為のアイドル」
第2話ではメンバーの「伝説的な感じを生かして佐賀を一世風靡」と言っている。
それに対して愛は「ご当地アイドルで町おこし!?」と食いつく。
しかし、第11話での印象的なバーのシーン。
謎の店主と幸太郎の間で「ゾンビ(ィ)ランドサガプロジェクト」についての会話が繰り広げられる。
(注・店主の「元祖ゾンビ村肥前夢街道プロジェクト」と言う発言があるが、これは「元祖忍者村肥前夢街道」という実在する忍者村にかぶせたボケであろう。)
店主は「大慈悲を起こし人のためになるべきことか」と言い、それに対して幸太郎は「山本常朝…葉隠…そんな大層なものじゃありません」と返す。
山本常朝とは江戸時代の佐賀藩士であり、「葉隠れ」とは彼の口述が元となった書物である。「大慈悲を~」はその中に記されているされている言葉だ。
ただの町起こし企画に対してこのような会話が起こるものであろうか、計画名には「ゾンビ」が使われているし、店主の発言には生前のゆうぎりとの接点があったことも漂っていた。
店名や飾られている写真からは徐福(秦の時代に始皇帝の命により、不老不死の仙薬を求めて日本にやってきたとされる人物)が関連しているとも考察されている。
最後までその計画を公にしなかった幸太郎だが、その行動の裏で何を考え続けていたのか…
結論はわかりません。これに至っては頼むぞ、続編。
この作品でのゾンビとはなんだったのか
ゾンビとは実はとても広義な言葉である。
その歴史を遡ればカリブ周辺でのブードゥーの呪術信仰から始まり、奴隷文化からの噂話、カルト小説、コミック、映画へと進出し、そのつど細部が変化、洗練されてきた世界共通の謎の言葉。
冒頭でアイドルアニメに対し「爆発的な速度での成長を見せ、多様化してきた」と述べたが、ゾンビはさらに長い年月をかけて進化してきた存在。
そして、その未だ進化の過程にある二つのジャンルの最新作が融合しあったものこそがゾンビランドサガなのだ。
さて、話を戻そう。
そんな時代とともに変容してきたゾンビだが、その根底に共通する定義として、
「ゾンビは自身がゾンビであること、また自分が何者かを理解していない。」
というものがあると感じる。
私はこの作品について、ゾンビという要素はただのモンスター的な性質を表した言葉ではなかったと感じる。
フランシュシュに当てはめてみてみよう。
前項で触れたとおり幸太郎は自らの野望についてメンバーに明らかにしていない。
しかし彼女らはそこへの疑問が薄く、最終的に自らのアイドル活動に理由見つけ、結果として彼の意のままになってしまっている。
この状態こそ正に「ゾンビ状態」であると言えるのではないか。
確かに人間の生きる目的や、哲学的ゾンビの話題を持ち出せば誰しもがゾンビ状態であると言う話になってしまうのだが、この作品においては勝手に生き返らされて、勝手にある目的のために強制的にアイドルにされた彼女らは間違いなく「ゾンビ状態」にあるといえよう。
しかし彼女らにしっかりとした自我が芽生え、成長しているのも事実。
話数を重ねるにつれてお互いに支えあい、困難を乗り越え、自主的に練習を行い、山に篭らされた時もしっかり共同生活&サバイバルまでしていた。
さらに第8話(まさお回)、第9話(サキ回)のライブシーンを見るにかなりメンバーの好みに寄った楽曲、演出となっている。幸太郎とフランシュシュが協力して楽曲製作している描写もあった。
ここからプロデューサーとフランシュシュがしっかりと二人三脚で歩み始めていることが感じられる。
正直、彼女らは相当ゾンビである設定から徐々に離れてきていると感じる。物語も序盤から終盤へかけてゾンビ要素よりアイドル要素の方が強くなっていった。
この先も彼女たちはゾンビであり続けるのだろうか、あり続けられるのだろうか。
どれだけアイドルとして輝いたところで、普通の女の子になれるわけでも、人間に戻れるわけでもない。
利用されていることに気づいても彼女達はステージに立ち続けられるのだろうか。
フランシュシュと幸太郎の今後は…?
死人を生き返らせる。この行為にはどんな理由があろうとも大きな倫理上の問題が付き纏う。
「何で生き返らせたのか」と直接的に問いかけたメンバーは居なかったが、第2話のラップシーンでサキはさくらに対し
「アホかお前みたいに言いなりが良いなら あたしゃあのまま寝てた方がマシだ」
と投げかけている。
また純子は飛行機事故という死因から、事故の規模によっては
「なぜあの場から自分だけが生き返ってしまったのだろうか」という疑問から罪悪感を感じてしまってもおかしくはない。
さくらだって最初から記憶をもったまま復活していたら素直にアイドルをやろうとは思わなかったことだろう。
また、さくらの記憶喪失については疑問が多く残るところである。
幸太郎はショックを与えて生き返らせたと言うが、ショックとはなんだったのか。
記憶喪失は意図的に起こされたものではなかったのか。
さらに超個人的な感想としてさくらが家を出てドアを閉めてから「いってきます」と言おうとしたことにも違和感がある。家に誰も居なかったとしても、家の中で内側に向かって言おうとしないだろうか。
額にざっくりとついた切り傷のような痕も疑問だ。他のメンバーは傷や包帯の位置が死因と関連しているが、さくらの額の傷についてはトラックにひかれたという状況からは説明できない。だがなんでもない傷をあそこまで目立つようにデザインするとは考えられない。
OPの風呂場の映像や左手の包帯からリストカットによる自殺説などもあるが真相はいったい…
ゆうぎり姐の死因は打ち首、たえちゃんは飢餓が死因であることはOPの歌詞考察と傷跡や行動からほぼ判明だと思いますが(雑)
さておき、死人を生き返らせ自らの野望の為に働かせる…そんな重い十字架を背負いながら幸太郎が望む道とは何なのか。
さらにそれをフランシュシュメンバーが知ったとき、彼女らは何を思いどう動くのか。
それらが語られる日は来るのでしょうか…
(これで続編なかったらTHEビッグオー1期並みの逃げ方だよ…)
まとめ
ゾンビランドサガのプロデューサー竹中信広さんはファミ通からのインタビューでこのように答えています。
『「何のために作ったんですか?」とよく言われますが、正直意味なんてなく、純粋に作りたいものを追い求めた結果出来上がった作品です。』
滅茶苦茶かっこいいと思いました。
他のインタビューなどでスタッフさんやキャストさんの話を聞いても皆さんすごい楽しそうで、この作品がこんなにも見てて楽しいのは沢山の愛が詰まっているからなんだなぁ、とも感じました。
素晴らしいスタッフと、設定の斬新な食べ合わせが化学反応を起こした結果生まれたゾンビランドサガ。
それを見て、その深くに感じた魅力について自分なりに書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
ハッピーエンドを迎えたゾンビランドサガ。そのダークな部分を掘り起こす必要があるのかと、自問自答もしました。しかしゾンビ、死というテーマを扱う以上は避けて通れない倫理的な観点もあります。私はそれらが絡み合った結果、この作品に惹きつけられ、さらなる奥行きを感じたため、ひとつの感想として記事を書くことを決意しました。
ただ、人それぞれに意見・感想はあるものです。同じような考えの人が少なくても、受け入れてくれるならこんな魅力も知って欲しい。そう思い書き上げました。
それでもこの記事が的外れであったり、批判されたり、ディスられたり、読みにくいと言われたり、日本語がおかしいとか言われても…私はめげません。
だって、失敗とか後悔とかを全然ダメなことだと思ってないから。
それって絶対次に繋がることだし、そういうのを全部踏み越えた先に誰にも負けない私が居ると思っているので。
言いたすぎましたごめんなさい。本当にこのセリフかっこよくて好きです。
辛いときに思い出して精一杯生きていこうと思います。
あと幸太郎が悪人見たいな書き方してきましたがそうではありませんよ!!
むしろ彼のことも大好きなのですが、これほどまでに明かされていない情報が少ないと色々考えてしまいますよね。
やはり、さくらが死んで10年の間に彼が正反対の自分、「乾」から「巽」へ変わり、
(これ下の名前も「幸太郎」じゃなくて「不幸太郎」とかだったら受けるとか小学生みたいなこと考えたの僕だけですかね。)
何故ゾンビランドサガプロジェクトを立ち上げたのか。
フランシュシュが歩みだした今、何よりも気になることです。
長々と語ってきましたが本当に大好きな作品です。めぐりあえたことに感謝です!!
今回は全体的に作品としての感想、考察を書かせてもらいましたが、キャラのことや好きなセリフについては書き足りません!!
遅筆ですが、えもえもすこすこシーン纏め記事も書きたいと思っているので、よろしければまた見てやってください。
それではまたの機会に会いましょう。
お付き合いありがとうございました。
追伸
final E2000というイヤホンを買ったのですががコスパ最強でおすすめです。
寝るときなんかにも良さそうです。
バイノーラル音声を聞きはじめて五ヶ月、所持作品が60の大台に乗りそうです。
上海飯店(元・相原飯店)さんの作品がおすすめなので是非。
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